ナポリから20km南に位置するポンペイ遺跡が死の灰にうずもれてから、1900年以上も経っているとは、とても思えない。
幅0・7km、長さ1・6kmに及ぶその空間は、遺跡というにはあまりにも生活感があふれていた。もちろん建造物などは破損した状態だが、なぜか今にも、街角から当時の人が現われそうな、そんな活気のようなものが感じられる。
それは、もしかしたら西に傾き始めた太陽が、ポンペイを温かく包み込んでいたからかもしれない。
西暦79年8月24日、ヴェスビーオ火山大噴火は3日間続き、その灰は7メートルも積もったというから想像を絶する。
そして、2万5000人が一瞬のうちに死に至った直接の原因は、硫黄ガスによる窒息で、住民は逃げることはおろか、どうすることもできなかったそうだ。
竪穴住居に住み、ようやく農耕が始まった日本の弥生時代と同じ時期に、ポンペイでは商業が栄え、その豊かな暮らしぶりは驚くべきものだったことが、この遺跡からうかがえる。町には商店が立ち並び、男女別の公衆浴場・居酒屋・パン屋・売春宿・豪邸・神殿などがあった。
神殿などには彫刻も施されているし、柱も思ったより太い。それと空間が広々していて、整然とした町の様子には本当に驚かされる。
また雨水を有効利用するために、屋根の中央を現代とは逆にV字にして、地下の水槽に流し込む工夫がされ、トイレは水洗だったと言うから驚きだ!
そのほかにも、道路は馬車道と歩道に分かれ横断歩道もあり、浴場は一定の温度に保たれ、パン屋には焼き釜があるなど感心することが多い。
約1500年の間、灰の下に埋もれていたポンペイは16世紀に偶然発見された。
その後18世紀にカルロ3世により発掘が開始。 あまりにも美しい色彩が残る壁のフレスコ画の赤、長い歳月を経たとは思えないその色に魅せられ、ナポリの建造物には“ポンペイの赤”をまねた赤を多く使ったそうだ。
それにしても、現在まで23回の大小の噴火を繰り返したヴェスビーオ火山は、元々3000m級の高さだったが、現在は1200mほどというから、その噴火のものすごさを物語っている。
ところで、何の手立てもなく死に至った、犠牲者の石膏像展示の前では、それまでの生活を突然奪われ、どんなに無念だったろうと、さすがにカメラを向ける気にならず、心の中で手を合わせた。そして、その地に立つことが、申し訳ないような気分に襲われたが、不思議なことにポンペイには暗いイメージはなかった。
考えてみれば、生き物は生まれた以上いつかは死に直面する。人が営みを繰り返し、それを積み重ねることが歴史としたら、いまポンペイに多くの人が訪れ当時の生活ぶりなどを垣間見る事で、その知恵に感動・感服し心の奥底に“何か”を持ち帰ることが、なによりの慰めになる・・・そんな気がした。
<ポンペイ遺跡>
2005/12/18 (日)
(4日目)その2
道路には歩道が!
飛び石のような物は横断歩道?
居酒屋
穴にはワイン瓶を
置いていたらしい
ワインなどを入れていたかめ?
ポンペイの赤で描かれたフレスコ画
現代でもこの色は再現できないとの事
ファウロ家の中庭
(ローマ将軍シッラの
甥の家?)
美しく夕焼けに染まったポンペイ
大小の噴火を繰り返したヴェスビーオ火山を背に
1900年以上の歳月が経ったとは思えない
壁の石積みや円柱
魔よけの文様?