<アムステルダムでのミニ探検>

2005/12/20(火)
   (6日目・最終日)
 

南イタリアたび日記
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もう旅は終わったと思っていた。もちろん家に着くまでが旅なのだが・・・。

あとは帰るだけという、今までとは違ったけだるいような気分でいたのが、最後の日には嬉しい“おまけ”待っていた。

早朝4時20分ホテルを出発。睡眠時間3時間少々だから、さすがに機内では寝てしまい、気がついたらイタリアとはさよならをしていた。

ローマでは星が瞬いていたのに、アムステルダムは今にも雨が降り出しそうな厚い雲に覆われている。

時間はまだ9時過ぎで、乗り継ぎ便に乗るための再集合時間まで4時間近くある。

仕方が無いので、空港内免税店でものぞき時間をつぶすつもりでいて、空港の外にはもちろん出られないと思っていた。

 ところがMさんの説明ではスキポール空港から電車で30分ほどの、セントラル・ステーションではクリスマス市をやっていて、希望者は空港の外に出てもOKということ。

何人かが顔を見合わせた。少人数では不安だけど・・・そう顔に書いてあった。でも大勢なら・・・その気持ちは伝染したらしく、9人の希望者でオランダミニ探検をすることになった。ただ予定外のことだから、地図も無ければ切符の買い方も解らない・・・。

大丈夫かな?ちらっと不安が頭をかすめたけれど何とかなるだろう。

 

団体から離れるので、自己責任ということで許可をしたけれどMさんは心配そうだ。集合時間を守り路地には決して入らないようになど、幾つかの注意をくりかえした。

意外なことに、オランダは麻薬も売春も法律で認められていて、治安もあまり良くないそうだ。クリスマス前のこの時期は人出が多いので、くれぐれも気をつけるように・・・と言いながら、やはり心配だったのか切符を買いセントラル・ステーションまで送ってくれた。

 オランダの街並みは、イタリアとは違う趣きだった。建物にはイタリアの重厚さとは異なる華やかさがある。

シンボルの風車は見られなかったけれど、駅の裏側の運河に流れ込む川には、小型の船が停泊しているのがいかにもオランダっぽいが、川の水はかなり汚くびっくりだ。

 麻薬OKという説明を聞いてしまったせいか、歩いていてもそのことが気になって仕方がない。あれほど、路地に入ってはダメと言われていたのに、クリスマス市から川沿いに歩いていたら、だんだん道が狭くなってきたので不安になり、皆で足早に通り過ぎた。

ほんの少し歩いた路地には刺青の店などがあり、怪しげ?な雰囲気がただよっていてさすがに緊張!

無事に大通りに出てホッとし振り返ったら、傾きかけた建物が眼に入った。これはどういう事なのだろう?

 

ところで、偶然川向こうに見えていた立派な教会の近くに出たので、見学をすることにした。

その教会は天井が高くかなりの広さで、薄暗くしんと静まりかえっていたが、何よりも信仰心あふれる厳粛な雰囲気に圧倒された。

そして、ステンドグラスや重厚な内装も素晴らしかったのだが、天井や壁いっぱいに描かれた絵画には固唾を呑んでしまった。

絵画は1枚が2メートル四方ほどの大きさだっただろうか・・・。そのうちの、「十字架を背負ったイエス」「服を剥ぎ取られたイエス」そして「十字架に架けられたイエス」・・・これらの一連の絵画は、イエス・キリストの受難の場面に違いない。

名も知らずに偶然訪れた教会での、思いがけない出会いにしばらくたたずみ、我に返ったらもう戻らなければいけない時間だった。慌しく見た教会前の小さな案内板には「サンタ・ニコラウス教会」と書かれていた。

 ニコラウス神父といえば、近所の貧しい姉妹にお嫁に行く為の持参金をプレゼントし、後に「サンタ・ニコラウス」がだんだん変化したのが、サンタクロースの語源だそうだ。

 

思いがけないオランダミニ探検も大満足だった。

帰りの電車にも間違えずに乗れ、他の国に迷い込むこともなく無事スキポール空港に戻って来られた。これも、同行してくれた皆さんのお陰!と大感謝だ。

 

姉妹・夫婦・親子・友人同士、そして一人でと、さまざまな参加者は、きっとそれぞれの想いを胸に家路に付いたに違いない。

高校生の孫娘さんと2人で参加したお爺さんもニコニコと嬉しそうで、早くに祖父を亡くした娘は大いにうらやましそうだった。

 

 娘から突然誘われ思いがけず実現した南イタリア旅行だったが、旅は心の栄養源だとつくづく思う。日常生活とは違った空間に身をゆだねると、普段見過ごしてしまうようなことさえが新鮮に感じるから不思議だ。

それにしても、西暦79年に灰に埋もれてしまったポンペイより、1956年までサッシで暮らしていた人々の生活のほうが貧しそうだったのには驚きだった。

その国の文化や生活には、気候風土や自然環境・立地や信仰などが大きく影響するのだろうが、貧富の差が歴然としている場合も多い。

権力者の陰には常に貧しい人々の姿が見え隠れ、いつの世も繰り返されてきた人々の営み・・・。

貧しい農民の住まいだったアルベロベッロのトゥルッリは、世界遺産に登録され後世に伝えられるが、支配していた領主の住まいは?と考えると、その結末に不思議が募る。

お土産話をたくさんと思い、移動のバスの中などで出来る限りメモを取り続けた。

留守番をしていた夫と息子はお互いに食事を作り合い、いつにない協力体制だったようだ。

一週間家を空けても困った様子ではなかったので、これに味を占めまた何処かに行こうと秘かに考えている。