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仏像の変遷 |
仏教は紀元前5世紀頃に釈迦が悟りを開き、その教えを広めたことにより始まりましたが、当初はあまりに尊大な釈迦のモデルを型どることはありませんでした。時が過ぎ紀元1世紀後半に北西インド、今のパキスタンのガンダーラで最初の仏像が作られました。また2世紀頃には中部インドのマトゥラーで作られました。両者の仏像のタイプは全く異なっています。ガンダーラの仏像は、鼻筋が通り、彫りの深いのが特徴で、マトゥラーの仏像は、東洋的な顔立ちで、現在の仏像のルーツと考えらています。またこの頃の仏像は比較自由な発想で作られたこともあり、形は一定していません。 |
時代 | 特徴 | 主な仏像作例 | 時代背景 |
飛鳥 | ・止利様式が主流 (抽象的・神秘的) ・ほとんどが銅と木で造られる ・宝珠形光背(宇宙や自然を象徴)が流行 |
・元興寺釈迦如来坐像(飛鳥大仏) ・法隆寺金堂釈迦三尊像、四天王像、百済観音像 ・中宮寺如意輪観音像 ・広隆寺如意輪観音像 |
・仏教伝来(538) ・蘇我、物部両氏の対立も崇仏派の蘇我氏が勝利 ・聖徳太子が仏教の浸透、定着をすすめる |
奈良 (白鳳) |
・人間的な生命感を持った表現 ・金銅仏が中心、塑像も |
・東京深大寺釈迦如来倚像 ・当麻寺弥勒仏坐像 ・法隆寺阿弥陀三尊像、夢違観音像 |
・国が仏教保護、奨励→国家・貴族中心 |
奈良 (天平) |
・写実主義 ・金銅、乾漆、塑像と様々(乾漆像は最盛期) |
・法隆寺五重塔維摩居士像、文殊菩薩像、涅槃像 ・東大寺毘盧舎那仏坐像(奈良大仏)、法華堂不空羂索観音像、梵天像、帝釈天像、四天王像 ・薬師寺金堂薬師三尊像 ・興福寺阿修羅像、十大弟子像 ・唐招提寺鑑真和上像 |
・中国唐の影響(遣唐使の再開) |
平安 | [前期] ・密教の浸透により明王像が多く造られる ・木彫(一木造り)が中心 ・迫力ある肉体表現 ・全国各地で仏像が造られる |
・東寺五大明王像 ・大阪観心寺如意観音坐像 ・福島勝常寺薬師三尊像 ・神護寺五大虚空蔵菩薩像 ・室生寺釈迦如来像、文殊菩薩像 ・新薬師寺薬師如来像 |
・最澄、空海の出現(密教が宮廷を中心に急速に浸透) |
[後期] ・浄土信仰に伴い阿弥陀如来像を中心とした造仏 ・優美で柔和な表現(→和様彫刻の完成「定朝様」) ・寄木造りが主流となる ・法華経信仰に伴い普賢菩薩像が多く作られる |
・平等院鳳凰堂阿弥陀如来像 ・浄瑠璃寺九体阿弥陀如来像 ・三千院阿弥陀三尊像 ・大覚寺五大明王像 ・醍醐寺薬師三尊像 |
・藤原氏王朝文化築く。貴族中心の国風文化 ・浄土信仰広まる ・法華経信仰広まる。女人往生を説く ・末法思想が広まる→鎌倉新仏教台頭の要因 |
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鎌倉 | ・リアルな表現手法 ・写実的かつ高品格を備えたデリケートな作風(運慶) ・優美で理性的な写実(快慶) ・玉眼(水晶)が流行 |
・東大寺南大門金剛力士像、地蔵菩薩像、僧形八幡神像 ・高徳院阿弥陀如来坐像(鎌倉大仏) ・六波羅密寺空也上人像 ・興福寺天燈鬼、竜燈鬼 |
・鎌倉幕府成立により関東地方の造仏が盛んになる ・庶民的仏教が中心 ・東大寺、興福寺焼失による復興事業が活発化 ・運慶、快慶の出現 ・中国宋の影響 |
室町 | ・鎌倉時代の様式を形式化し、技巧的にした作風 |
・長谷寺十一面観音立像 ・新潟宝生寺如意輪観音像 |
・北山、東山文化の開花 ・禅宗の台頭 ・浄土系、禅系など必ずしも仏像を必要としない新興宗教が広まり大規模な造仏が激減 |
安土桃山 | ・般若寺文殊菩薩像 | ・比叡山焼打ち、高野山攻略(信長) ・本願寺分割(家康) ・仏教が為政者の権力に屈服し、その保護のもとに存続 |
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江戸 | ・決まりや伝統にとらわれない自由な作風 (円空・木喰) |
・宝山寺五大明王像 | ・檀家制度、寺社奉行の設置などにより仏教の形骸化すすむ |
明治 | ・廃仏毀釈運動により貴重な仏像、寺院を消失 |
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