トップページに戻ります より深く知るために

主な仏師

日本で活躍した主な仏師を紹介します
鞍作止利
(鞍作鳥、くらつくりのとり、飛鳥時代)
山口大口費
(やまぐちおおくちのあたい、飛鳥時代末期〜白鳳時代初期)

日本最初の本格的仏師。中国北魏様式に新様を加えた神秘性の高い様式を確立して、7世紀前期の造仏に影響を与え、いわゆる「止利様式」の基礎を作りました。代表作に飛鳥寺如来像、法隆寺金堂釈迦三尊像など。

勅命で千仏像を刻んだといわれ、特異な形式を持つ飛鳥仏、法隆寺金堂広目天像を造りました。

国中連公麻呂
(くになかのむらじきみまろ、?〜774)
康尚
(こうしょう、平安中期)

奈良時代を代表する仏師。東大寺大仏の鋳造を指揮。また東大寺法華堂の諸像など多くの造仏に関与しました。

藤原道長らに重用され、同聚院不動明王坐像など、均整のとれた優美な和洋彫刻の完成に尽力しました。

定朝
(じょうちょう、?〜1057)
康慶
(こうけい、平安後期〜鎌倉前期)

寄木造りを完成させ、巨像制作を容易にしました。平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像などに代表される優美な様式は、日本各地の造仏の規範となり、いわゆる「定朝様」の基礎を作りました。
また、定朝の孫院助(いんじょ)にはじまる院派、定朝の弟子長勢(ちょうせい)の系譜を継ぐ円派の仏師が派生していきました。

運慶の父で、慶派の祖。興福寺南円堂不空羂索観音坐像などを造りました。

運慶
(?〜1223)
湛慶
(1173〜1256)

鎌倉前期の慶派仏師。奈良の諸大寺や東国の造仏など精力的に携わりました。たくましい生命感の表現、迫真的な写実を目指し、力強い鎌倉新様式を確立した、日本仏師を代表する一人です。

運慶の長男。慶派を引き継ぎ、運慶様式に宋朝様式を加え、洗練された作風を展開しました。蓮華王院(三十三間堂)千手観音坐像が代表作。

快慶
(鎌倉前期)
円空
(えんくう、1632〜1695)

康慶の弟子で、東大寺復興などで活躍しました。写実を基礎に、藤原様式や宋朝様式を織り交ぜ、「安阿弥様(あんなみよう)」と呼ばれる整った装飾性の高い新様式を創出し、後世の造仏に大きな影響を及ぼしました。

全国を行脚し、諸国に木彫像を遺した天台宗の僧。荒々しいのみあとを残す大胆な彫法と、素材を活かした素朴な作風で、江戸時代に特徴的な仏像を遺しました。

木喰
(もくじき、1718〜1810)
その他

江戸後期の遊行僧で、北海道から九州までを転々とし、全国各地に自由奔放な木彫仏を遺しました。

椿井(つばい)仏所 :鎌倉後期〜室町初期
宿院仏師 :室町後期

仏師系統図

主な仏師の系統図
Homeより深く知るために > 主な仏師 ▲このページのトップへ戻る