栃木県の「大平山寶樹院太山寺」は833年慈覚大師円仁により開山されました。
1584年皆川・北条の戦いにより伽藍は焼失。
1652年徳川家光の側室四代将軍の御生母 お楽の方(寶樹院殿)により、月輪の地から現在の地に観音堂が移築、奥の院とされました。
2002年よりこの観音堂の解体修理が行われ、堂内の諸佛も修理が開始されています。
 また本堂前の「しだれ桜」は、お楽の方が家綱の武運長久を念じお手植えされたと伝えられ、毎年4月上旬頃には見事な濃いピンクの一重の花が咲くそうです。
本堂前のしだれ桜
樹木に囲まれた観音堂
【古佛修理の様子です】
修理前の三尊です。
一見何も問題がないようですが、体の内部まで痛みが広がっていました。
毘沙門天さんの足の間には、大きな穴もあいていたそうです。
脇侍の吉祥天像の顔です。
今回段が出来ていた複数回の修理跡を全て取り除き、新たな材で目を彫り直す事になりました。
ばらばらにならないよう慎重に解体です。
毘沙門天さんの胎内です。
至徳2年創建の記録や、寛永の修理記録が残されていました。
最大110個ほどに分解された部材が
大きい部材ごとに組み立てられました。
毘沙門天さんをのせていた邪鬼君もぼろぼろだったとの事。
緊急に太い注射(硬化充填剤)を打ち、粉々になるのを防ぎました。
毘沙門天さんの内部には補強材が入れられました。
細かい部材を接合し体の前の部分と背中側の
2材にまとめました。
胎内に今回の修理記録を納め前後を接合します。
次の解体修理は300〜400年後でしょうか?
見る事が出来ず残念!
木地の修理が完了しました。
この後漆塗り、彩色、古色をつけ完成です。
古色は別名「ふるび=古美?」といわれ
汚す事ではなく長い年月を凝縮して
この像にお化粧を施します。
【2004・9 美しく生まれ変わった三尊さんがお堂に戻りました】
広い境内を何度も往復して三尊さんを運び入れました
毘沙門天さんの組み立てが慎重に進みます
組立作業を見守ります
吉祥天さんも美しくよみがえりました
修理の経過説明にも熱が入ります
三尊さんが戻られ
嬉しそうなお二人の姿が印象的でした
長い年月を経たお堂にしっくりと納まった
毘沙門天像と、左側吉祥天像・右側善膩師童子像
観音堂のご本尊「千手観世音菩薩像」


お堂の中には修理を待つ仏像が多く
現在も不動三尊像などの解体修理が行われており
順次勢山社から元気な姿で戻っています
しだれ桜で有名な 大平山太山寺の
             古佛が美しく生まれ変わりました
〜南北朝の頃制作された毘沙門天像と脇侍2体の解体修理の様子と納入風景〜
四天王中の北方守護神・多聞天と同じ方ですが、独尊で奉られる場合は毘沙門天と名前が変わります。
福徳の力も強大で、七福神のメンバーとしておなじみですね。
奥様は美の象徴であり、理想の女性像である吉祥天様!(初期七福神中の紅一点です)
お子様の善膩師童子と共に三尊で祀られていることが多いそうです。
≪三尊さん豆知識≫