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釈迦の生涯
〜 八大聖地 〜

本名

ゴータマ・シッダールタ(「釈迦」は出身部族の名前)

生まれ 誕生釈迦

紀元前566年、インドヒマラヤ南麓の迦毘羅(かぴら)城の王子として誕生。この地は、ルンビニーの園と呼ばれます。父は浄飯王(じょうぼんのう)、母は摩耶夫人(まやぶにん)。誕生直後7歩歩んで「天上天下唯我独尊」と唱えました。7歩歩くことは、六道輪廻を超越することを意味します。
ルンビニーの園は、花が満開だったことから、釈迦の誕生日とされる4月8日を「花祭り」として親しまれるようになりました。

結婚

16歳で従妹のヤショーダラーと結婚し、まもなく息子ラーフラ(羅ご羅、「ご」は目へんに侯、十大弟子の一人)を授かりました。

出家

29歳の時、父に反対されますが梵天帝釈天(仏法の守護)の援助で出家しました。
遊学の際、城外に東門から出るとき人の姿を、南門から出るとき人の姿を、西門から出るとき人の姿を見て、人間の逃れれられない「苦」を目のあたりにして悩み、最後に北門から出るとき毅然として修行に励む沙門(カースト制度における最高位のバラモン以外の出家修行者)の姿を見て、煩悩の世界を脱し悟りの境地に到達することを決意しました。
(これを、四門遊観(しもんゆうかん)の伝説、または四門出遊(しもんしゅつゆう)の伝説といいます)

修行 釈迦如来

バラモン教の教えに反発する思想家が多く集う、王舎城(ラージャグリハ)に赴きました。そこで、アラート仙に、徹底した何事にも執着しない境地を、ウッダカに何事も考えることのない無念無想の境地を教えられ、釈迦はすぐその師と同じ境地に達しましたが、悟りを開くことはできませんでした。
その後ブッダガヤ(仏陀伽耶)に移動し、肉体的苦行を積み、骨と皮だけの身体になってしまいました。ここで釈迦は、苦行は身体を苦しめるだけで、悟りを得ることはできないと分かり、尼連禅河(ナイランジャナー河)で身を清め、そこの村長の娘スジャーターから乳粥の施しを受けました。そして、ピッパラの樹(菩提樹)の下で座禅を組み、ついに35歳で悟りをひらきました(これを降魔成道(ごうまじょうどう)といいます)。

説法

悟りを開いた釈迦は最初は説法を行いませんでした。真理は難解で、凡人には理解できないと考えたからです。しかし、 梵天の助言により、サルナート(鹿野苑)で初めて説法(初転法輪)を行いました。(梵天勧請)。その後、王舎城郊外の竹林精舎のラージャグリア(ラージギル)、舎衛城や祇園精舎のマヘート・サヘートなどで説法を行いました。
また、母摩耶夫人のために天界に昇って法を説き、サンカーシャに戻ったともされています。

入滅

入滅前の最後の雨期を過ごしたヴァイシャーリーからクシナガラ(拘尸那掲羅)に移った釈迦は、80歳で沙羅双樹の下、頭を北に右脇を下に両足を重ねて横たわりました(涅槃)。

赤字の地名を特に四大仏蹟四大聖地、さらに青字の地名を合わせて八大聖地と呼びます
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